2014年10月 の記事一覧

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朴正煕「分別なく故国をすてて日本に密入国した在日僑胞」と公式発言  日本人の記憶から特亜工作員により消された事実【朝鮮進駐軍】の悪逆非道ぶりの記録 

こちらもどうぞ~
↓    ↓    ↓  
桜井誠会長大いに吠える~! エボラ出血熱とユダヤ陰謀論!?
http://ameblo.jp/nihon-banzai/entry-11941889049.html

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韓国大統領、在日朝鮮人が密航者である事を公式に認める「故国をすてて日本に密入国」
427: サッカーボールキック(愛知県)@\(^o^)/:2014/10/16(木) 23:25:18.18 ID:iKeIZA7u0.net
>■韓国大統領・朴正煕は在日朝鮮人が密航者である事を公式に認める
(日韓条約批准書交換での談話 ) 
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19651218.S1J.html

 

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[文書名] 日韓条約批准書交換に関する朴正煕韓国大統領談話 
[年月日] 1965年12月18日 
[出 典] 日本外交主要文書・年表(2),629-630頁 及
「大韓民国外交年表 附主要文献」,1965年629-630頁 
[備 考] 翻訳 玄大松 
[全 文] 大統領談話文(韓日協定批准書交換に際して) 


親愛なる在日僑胞の皆さん! 
そうして私は,日本の空の下で韓国同胞たちが再び分裂して相剋することなく, 
暖い同胞愛の紐帯の中で互いに和睦して親近となり,また幸福な生活を営なむことを
希望してやみません。 


これとともに私は,これまで
"分別なく故国をすてて日本に密入国"しようとして抑留され, 祖国のあるべき国民になれなかった同胞
に対しても,この機会に新しい韓国民として
前非を問わないことをあわせて明らかにしておこうと思います。 


再びこうした分別のない同胞がいなくなることを希望しながら,今日からわれわれは 
新しい気持と新しい心構えで,栄えあるわが祖国を建設する働き手とならんことを,
訴えてやみません。 


1965年12月18日 
大統領 朴 正 煕 






348: アイアンフィンガーフロムヘル(千葉県)@\(^o^)/:2014/10/16(木) 22:27:56.29 ID:CHUp2C2N0.net
犯罪歴があって帰化不能かつナマポ受給してる在日には帰国してもらおう 




375: ツームストンパイルドライバー(東京都)@\(^o^)/:2014/10/16(木) 22:36:47.99 ID:T+9gllEx0.net
在日はもう祖国に帰れよ。潮時だよ 
日本が懐かしくなったらいつでも一般外国人として旅行に来ていいから 


でもそろそろ自国に戻る時期だよ 
さよなら 




900: ラ ケブラーダ(大阪府)@\(^o^)/:2014/10/17(金) 08:09:33.14 ID:xzcJbnSR0.net
在日を強制送還できる法律も作ろう(提案) 








日本人の記憶から特亜工作員により消された事実【朝鮮進駐軍】①
http://81.xmbs.jp/piroshigogo-203072-ch.php

日本人なら絶対に忘れてはいけない!日韓併合後、在日朝鮮人は厳しい身分差別から逃れるため、自らの意思で朝鮮半島を脱出して日本に渡ってきました。日本がポツダム宣言を受け入れると在日たちは「戦勝国民」であると主張し、「朝鮮進駐軍」を名乗り、各地で暴れ始めました。

日本の男たちは戦場に駆り出され、残っていたのは女、子供、老人ばかり。朝鮮人たちはやりたい放題で、駅前の一等地は朝鮮人に奪い取られ、占領されました。もちろん、そこに住んでいた日本人女性は容赦なく強姦され追放されたのです。当然、日本人は在日を強く憎むようになりました。

そのため、在日朝鮮人たちは日本名『通名』を名乗るようになりました。朝鮮名を名乗ることは自分が犯罪者だと宣言しているようなものだからである。朝鮮人たちは共産主義者と組み、マスコミを使って歴史の捏造を始めました。

「強制連行されて来た」

「土地を奪われて仕方なく来た」等々。

そして強姦犯罪を謝罪せず、土地を占拠し続けながら、「俺たちは何も悪いことをしていないのに差別される」「不当な差別を受けている」「謂れなき差別を受けている」等と宣伝『捏造』しまくりました。朝鮮進駐軍を知らない世代の日本人は在日に対して罪悪感を持つようになりました。在日たちは占領した一等地で事業を始めました。

それが「パチンコ」です。

今でもパチンコ業者の8割は在日です。パチンコは30兆円産業。何と自動車産業よりも規模が大きいのです。パチンコ業界は脱税と、北朝鮮への送金で知られます。『日本人がパチンコで負けたお金が年間約700億円、北朝鮮に流れています。』「日本のパチンコがある限り、我が国は安泰だ(金正日)」日本の政治家にもパチンコの金が流れています。

だから「パチンコ、パチスロはギャンブルではない、大衆娯楽だ」という馬鹿げた論理がまかり通っているのです。祖母や曾祖母が朝鮮人に強姦された場所とは知らずにパチンコやスロットを楽しむ、日本人。パチンコで負け続けている人、もうパチンコ屋に通うのは、辞めて下さい。在日朝鮮人の思う壷、金正日国家、北朝鮮の懐を暖めるだけですよ。




自称朝鮮進駐軍の非道
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日本の敗戦後なだれ込んで来た朝鮮人の奴らが一体我々の祖父祖母達に何をしたかは説明した。次に実際その被害を経験された南十字星氏の手記を紹介する。

南十字星氏手記訳文

「終戦後の第三国人どもは本当に酷かった。軍の兵器を盗んできたらしく、三十八式歩兵銃や拳銃で武装し、銃には着剣して強盗強姦、時には殺人まで重ねていた銀座浅草新宿は朝鮮人、に支配され、政府も警察も動揺した、食管法は朝鮮人には適用されなかっただから彼等は堂々と闇商売を行い、派手に稼いでいた。

そりゃ儲かるだらう 取締を横目に犯罪のし放題なのだから東京東部(中心地)北郊の荒川、古利根-中川、江戸川、利根川流域の牛は皆いなくなった当時、あの辺は畜力として農耕牛を使っていたが、深夜、朝鮮人が侵入して盗み出し、河原へ連れていって虐殺した。

牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが銃砲刀剣で武装しているので追う訳には行かなかった 永年愛育し、慈しんだ牛が悲しそうに泣きながら引き出され殺されるのは無念で耐え難かったがどうにも出來なかったこうして流域一帯の牛は皆、朝鮮人に盗まれ、殺され、闇市で売られた。関東から、牛はいなくなった家畜相手ならまだしも、人間に対しても、関東より西の大都市を中心に、日本中に灰神楽が立つような勢いで数多の犯罪を重ねた。川崎、浜松、大阪、神戸などが酷かった。

<対して、浜松>
其最も著しい、象徴的事例に、元文部大臣、後の首相鳩山一郎氏に対する傷害事件がある鳩山氏が軽井沢の静養先から帰京しようとして 信越本線の汽車に乗っていたら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、切符も買わず、車掌らを突き飛ばし押入って来て、『俺達は戦勝國民だ、 お前ら被支配者の敗戦国民が座って支配者様を立たせるとは生意氣だ、この車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、ぐずぐずするな!』と追い立てた。

<軽井沢、鉄道、この>

ここで鳩山氏が、『我々はきちんと切符を買って座っているのにそりゃおかしい』と乗客として穏やかに抗議したら、たちまち大勢が飛び掛かって袋叩きにし、鳩山じいを半殺しにした。幸いにして重体にも重傷にも至らなかったが、頭部裂傷だか 顔面挫傷だか忘れたが、血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した。

<それ、たちまち>
年老いた祖父を理不尽に叩きのめされて怨まぬ孫もあるまい、 如何に不出来な孫にせよ孫共はこんな出来事を知らんのだろう。

<いかに、これ>
庶民はおろか直後に総理大臣になる程の大物でも土地も屋敷も物資も操も、奪い放題であった 闇、賭博、傷害、強姦、強盗事件が多く、さらには、空襲や疎開で一時的に空いている土地が片端から強奪された。今、朝鮮人が駅前の一等地で【パチンコ屋】や焼肉屋を営業しているのは、皆、あの時奪った被災者の土地だ。

<総理、かくのごとし、いわんや、おいて、 ことに、り災>
これでも警察は手が出せなかった。戦勝国に勝手にA級戦犯などと汚名を貼られ歴代総理大臣等が絞首刑になって行く状況で、警察ごときに何が出来よう?ある日、警察は何月何日をもって廃止す、再び登庁する者を許さず、と命ぜられれば、これっきり警察は消滅する。七百万の大軍を擁した我が帝國陸海・軍ですら、左様にして両總長 両大臣以下、自然廃官になった。まこと、敗戦は悲しからずや

<ある日、もって、万>
今では想像できんな。一国の総理大臣が処刑されていくなかで、三国人が土地を占拠、軍の銃器を強奪して暴行、殺人の限りをつくして警察も手をだせない、無法地帯。 警察が思い余ってやくざに助けを求めてる。 たまりかねた警察が密かにやくざに頼み込み「浜松大戦争」になった訳だが、「小戦争」は日本中に頻発した。

<たまりかねた、頻発>
最後の頼みの綱は連合国軍であったが、遂にはその米憲兵隊でも手に負えぬ非常事態に立ち至った。

<連合国、ついに>
これでさすがに米軍も腹にすえかね、日本本土全域の占領を担当していた米第八軍司令官アイケルバーガー中将が、関東と言わず関西と言わず、はたまた北九州と言わず、朝鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を築き、重装甲車両を並べ、人の身長程に大きな重機關銃を構えて朝鮮人共にピタリと狙いをつけ、またたく間に鎮圧した。我々はこの兵器のきらめきを間近に見た

<中将、ようやく、きらめき>
この時、連合国軍総司令官ダグラスマッカーサー元帥の出した布告が、「朝鮮人等は戦勝国民ではない、第三国人なり」

<発した、あらず>
という声明で、これぞ「第三国人」なる語の始まりである。だから、外人差別用語なはずが無い。彼等自身、マッカーサー元帥以下、一人残らず皆、外国人ではないか!連合国軍総司令官は、本国や同盟国、對日理事會や極東委員会に気を使わねばならぬ外交センスの要る役職であった。何人にもせよ、敗戦国民以外を、声名発して迄差別なんぞする筈が無い「第三国人」の語は、国際法に則って説いた専門、技術用語に過ぎない近頃のマスコミは年も若く、当時の経緯や語感がわからないのだろう知合いのマスコミ幾人かに電話して、テレビにでも新聞にでも出て歴史の真実を話して進めようと申入れたら、皆、「検討させて下さい、」と逃げてしまった。

真面目に報道する気は無いのかの・・・あんた、パソコン通信を使っているそうじゃが、インターネットとやらは随分と情報発信出来て、数百万人が見ると聞く。一つ満天下の正義の為に発信して下さらんか」


朝鮮進駐軍 湊川の戦い

真実はここにある!戦後日本で暴れ回っていた不良三国人『不逞朝鮮人』にみかねた田岡氏は自警団を結成して、山口組が犯罪朝鮮人『不良三国人』と戦い日本と一般市民を守った、日本人、山口組三代目 田岡組長、戦いの記録

終戦当時、国内には強制連行された人を含めて朝鮮人、中国人は200万以上いたが、とくに兵庫に多く、昭和18年に13万5000人、47都道府県の7パーセント強を占め、大阪、東京につぐ3位という勢力をもっていた。
(中略)
彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩していた。通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをする。善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。

袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って街をのし歩いた。腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器をひっさげた彼らの略奪、暴行には目にあまるものがあった。警官が駆けつけても手も足もでない。「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」。警官は小突きまわされ、サーベルはへシ曲げられ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。さらにこれにくわえて一部の悪質な米兵の暴行も目にあまった。
(中略)
彼らの行為を見聞きするごとにわたしは怒りにふるえていた。彼らを制止し、阻止する者は一人としていないのだ。警察は無力化し、やくざは手をこまねいて目をそらす。いったい、だれが街を自衛すればいいのだ。

「一億人の昭和史 <日本占領3 ゼロからの出発>」1980年 毎日新聞社
昭和25年当時、国際港神戸はまた日本一の密貿易の根拠地でもあった。巨大な国際密輸シンジケートがいたるところ張り巡らされ、瀬戸内海へ何十隻もの密輸船が出航
(中略)
ところで、当時の神戸の密貿易は、大半が台湾、朝鮮などの旧外地との間で行なわれていた。神戸が第三国人の根拠地となっており、東京、横浜に比べ旧外地に近かったこともあり、密輸量は日本一。
(中略)
国際密輸組織の中核は一貫して第三国人だった。
敗戦後、神戸に三宮駅から神戸駅まで約2キロに及ぶ全国に例をみない大闇市場ができたが、密輸品の多くはここでさばかれた。そこに大きな勢力を張っていたのが数万人の第三国人で、戦勝国意識を誇示するため腕章をつけ、日本の警察権を一切認めようとしなかった。こうした特権をフルに利用、密輸団を操る黒幕になった三国人もでた。黒幕だった三国人の中には、密輸の巨利で今は正業につき、実業家として幅をきかしている者もいるといわれる。


敗戦直後、韓国内に取り残された日本女性に対する朝鮮人、ロシア人のレイプ三昧に関する証言。
証言したのは韓国内に当時あった日本病院に勤務した看護婦。一説には1200人以上の日本女性がレイプ後に妊娠し、堕罪するためにこの病院を訪れていました。何が、強制従軍慰安婦だ。結局、自分達の悪行を隠すためと無心のための大嘘ではないか。こんな民族に外国人地方参政権を与えたら「日本は滅びます」

日本女性の皆さん。こんな民族でも「好きになれますか?」、それとも「強姦されたいですか?」もし、疑問に思われるなら、報道や事実を基に韓国の実態を鋭く切るコリアウォッチャーの大御所ブログ「こりあうぉっちんぐ」の強姦に関する記事を見て下さい。大量に出てきますよ。
報道できない強姦事件
露ダンサーら「韓国は地獄だった」…レイプ常習の差別大国













日本人の記憶から特亜工作員により消された事実【朝鮮進駐軍】②
http://81.xmbs.jp/piroshigogo-232110-ch.php?guid=on

朝鮮進駐軍
朝鮮進駐軍とは?Weblio辞書


■概要
一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和 20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。

■朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について
服装・武器及び組織について

戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本空軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。

■時代背景
当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。

いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。

■朝鮮人による犯罪
朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。

略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地・建物の収奪も相次いだ。1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。

46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。

第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。


主な事件一覧

朝鮮総連が、公安警察に監視されたり、公安調査庁の「調査対象団体」に指定されているのは、過去にこれだけの「実績」があったからです。

何故「三国人」が差別用語になったのか

秋津嶋案内所

▼朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。▼


■大阿仁村事件(1945年10月22日)
秋田県北秋田郡阿仁合町(現在の秋田県北秋田郡阿仁町)の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、1945年10月22日午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁町(現在の秋田県北秋田郡阿仁町)の集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し栗を拾っていた所を村人に発見され注意したところ乱闘となり、村人3名が重傷を負った。午後1時になると約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧した。


■生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946 年1月9日)
兵庫県生田警察署では、岡山市内で発生した七人組の拳銃強盗犯人を追って神戸に出張した岡山県警察部の捜査員に協力した。
その後1945年12月24日午後9時、「岡山の刑事を出せ!」と叫ぶ50人以上の朝鮮人の集団が署内に乱入して、拳銃・日本刀・匕首を突きつけて署員を軟禁状態に置き、署内を探し始めた。岡山県の捜査員たちは署からの脱出に成功したが、暴徒は電話線を切断し、外部の連絡を絶たせた。急を聞いた進駐軍憲兵がジープで駆けつけたため、ようやく事態を収拾させることができた。また翌年1月9日、生田署が三宮ガード下で賭博団を検挙すると、30~40名の朝鮮人たちが再度署内に乱入し、検挙者を奪還しようとしたが、生田署はこの暴徒を制圧し、進駐軍憲兵と協力して首謀者とみられる3名を検挙した。


■直江津駅リンチ殺人事件(1945 年12月29日)
信越線黒井駅でヤミ米ブローカーの朝鮮人3名が列車の窓ガラスを割って乗り込もうとしたところ、ある日本人乗客に拒まれて乗り込むことができず、デッキにぶらさがって直江津駅まで行った。彼らは直江津駅でその日本人乗客に対し、「乗降口から乗れないので、仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのになぜ妨害した」と詰め寄ったが、日本人乗客が「窓から乗り込むという方法はない」と反駁したので、「朝鮮人に向かって生意気だ!ホームに降りろ!殺してやる!!」と叫んで、その乗客をホームへ引きずり出して、パイプやスコップで滅多打ちにして殺害した。朝鮮人3名はその後逮捕されたが、全員逃走してしまい、結局うやむやのうちに終わってしまった。なお余談ではあるが、この種の鉄道内の不法行為を防止するために、急遽設けられたのが「鉄道公安官」制度である。
【このような事例は全国各地で続発しており、蔡焜燦氏や北斗星氏の証言が他のサイトで紹介されています。】


■富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)
1945年末に起きた強盗事件の容疑者として朝鮮人3名が逮捕され、そのうちの一人が警視庁富坂警察署に留置されていた。1月3日になって朝鮮人の集団が署内に乱入して、容疑者の釈放を要求したが、署長が拒否し続けたため、朝鮮人たちが椅子や棍棒で襲いかかるなど暴徒化して、事実上警察署が占拠された。そして留置所に留置されていた容疑者を捜しあてて、署外に連れ出して逃走させた。


■長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)
1946年5月13日、長崎県警察部はヤミ市場の取締で、朝鮮人26名・中国人6名・日本人150名を長崎県長崎警察署に連行した。朝鮮人・中国人団体が即時釈放を要求したが、聞き入れられなかったため、在日朝鮮人連盟の青年自治隊員100名とその他中国人など総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせた(うち1名は死亡)。捜査の結果、60名の朝鮮人と7名の中国人を検挙した。


■富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)
1946年8月5日、富山県警察部は富山駅でヤミ米の摘発を行い、ヤミ米ブローカの朝鮮人3名を検挙したが、それを見ていた自治隊員2名が妨害し、ヤミ米ブローカを逃走させてしまった。そこで、その自治隊員を公務執行妨害で逮捕した。この騒ぎで派出所周辺に30名の朝鮮人が集まり、連絡を取ろうとした警察官が群集に取り囲まれ、それを救出しようとした他の警察官との間で大乱闘になった。ついに富山警察署長は富山軍政部を訪れ、軍政部の協力を得ることに成功し、富山駅前にあった「自治隊出張所(引用者注:朝連の自治隊の「交番」のこと)」を閉鎖させ、逆に駅前派出所には武装警察官10名を常駐させ、ヤミ米輸送を阻止した。


■坂町事件(1946 年9月22日)
羽越線坂町駅において、新潟県村上警察署が主食取締りを行ったところ、中国人15名・朝鮮人約50名が警察官に襲いかかり、暴行を加えた。警察官は傷を負いながらも朝鮮人2名を逮捕した。同日午後、坂町・金屋両駐在所から「ヤミ米を運搬している」という報告があったので、署から私服警察官10名が急行し臨検を行った。そのとき、約15名の朝鮮人と中国人が襲いかかり、殴る蹴るの暴行を加えた。さらに駐在所に侵入して器物損壊等を行ったため、警防団、隣接警察署、進駐軍からの応援により、これを鎮圧し12名を検挙した。


■新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日~29 日)
1946年9月26日に、朝鮮人団体の幹部たちが新潟日報社を訪れ、坂町事件を報道した読売新聞と新潟日報の代表に対し、記事の内容が事実に相違するということで、記事の取り消しと謝罪を要求した。読売新聞側は不確実な記事であったことを認め謝罪したが、新潟日報側は社長の不在を理由として29日まで返答を猶予した。29日に朝鮮人団体幹部たちは再度新潟日報社を訪れ、話し合いがもたれたが、納得のいく回答が得られなかったことに腹を立てて、新聞社社員3名に軽症を与え、窓ガラス、椅子等を破壊したので全員検挙した。


■首相官邸デモ事件(1946 年12月20日)
宮城前広場(現在の皇居前広場)において、朝鮮人約2000名が生活権擁護人民大会を開催し、終了後首相官邸にデモ行進を行った。このときの一隊が官邸に押し入ろうとしたので、これを阻止しようとした警官隊と衝突して大乱闘となり、警察官の拳銃2挺、実弾が奪われた。このため、武装警官358名、進駐軍憲兵20名が応援出動して、拳銃を発射するなどして制圧し、首謀者15名を検挙して身柄は進駐軍憲兵隊に引き渡された。彼らは軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。


■尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日)
1947年10月20日午後3時ごろ、米の買出し取締りに不満を持っていた朝鮮人7名が、山形県楯岡警察署管内の尾花沢派出所に侵入し、警察官が不在であったのを奇貨として派出所内の器物を破壊し、『尾花沢派出所』の表札を外して一旦逃走した。その後、警察官が戻って異変に気づき、本署に連絡した。そのとき、さっきの朝鮮人7名と他の朝鮮人30名が派出所に押しかけ、警察官3名に重傷を負わせた。警察は進駐軍憲兵の協力も得て、29名を検挙した。


■阪神教育事件(1948 年4月23日~25 日)
1948年1月、文部省は各都道府県知事に対し、朝鮮人学校に学校教育法を適用するように通達を出した。大阪府ではこれを受けて、朝連の幹部や朝鮮人学校の校長を集めて話し合おうとしたが、朝鮮人側それに応じる気配を見せなかったので、3月15日に閉鎖勧告を行った。しかし、朝鮮人学校8校が引き続き授業を継続していたので、府教育部は4月15日限りで閉鎖すると厳命した。

1948年4月23日、これに反対するデモ隊約7000名が府庁前の大手前公園に集まって気勢を上げた。朝鮮人代表15名は大阪府庁内で副知事・学務課長と交渉していたが、主張が容れられなかったので、朝連系の青年行動隊等数百名が府庁に乱入して、知事室や各階を占拠した。大阪市警察局と国家地方警察大阪府本部は3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除した。

神戸では、翌24日に朝鮮人学校問題に関する協議会が兵庫県庁で開かれた。会議には兵庫県知事および副知事、神戸市長、神戸市警察局長、神戸地検検事正など14名が参加していた。そこに、青年行動隊数百名がなだれ込み、知事や市長に対して自分たちの要求を認めさせた。

また、市警察局長や検事正に対しては、検挙者の釈放と今回の行為を処罰しないことなどを文書で認めさせて解散した。しかしその夜、進駐軍神戸地区司令官は、協議会の参加者を神戸基地司令部に集めて、神戸地区に「非常事態宣言」を布告し、24日の文書を無効とし、デモ参加者を一斉検挙した。検挙者は1800名におよび、首謀者は軍事裁判に付され、一部は国外追放となった。


■評定河原事件(1948 年10月11日~12 日)
1948年10月11日と12日の両日、宮城県仙台市の評定河原グラウンドにおいて、朝連と在日本朝鮮民主青年同盟(民青)の主催で、北朝鮮政府樹立祝賀会と運動会が開催されたが、このときGHQにより禁止されていた北朝鮮国旗を掲揚したため、仙台市警察と進駐軍憲兵がこれを阻止し、進駐軍憲兵に抵抗した朝鮮人1名が腹を撃たれて負傷、合計6名が検挙された。


■宇部事件(1948 年12月9日)
宇部市民会館において朝連系約200名が参集し、生活擁護人民大会を開催中、手配中の朝連県本部委員長を進駐軍憲兵および警察隊が逮捕したが、大会参加者は集団的に同被疑者を奪還しようとして衝突し、双方に多数の負傷者が出る騒ぎとなり、警察側の発砲によって鎮圧された。


■益田事件(1949 年1月25日)
島根県美濃郡益田町(現在の島根県益田市)の朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と経済調査官2名が同行して摘発に乗り出したが、拒否されたため、警察官10名が応援して違反物資を押収したが、約100名の朝鮮人に奪還された。翌日、被疑者9名を検挙したが、夜に入って約200名が警察署に押しかけて被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために、警察官と乱闘になり48名が検挙された。


■枝川事件(1949 年4月6~13日)
東京都江東区枝川町の朝鮮人集落において、刑事3名が窃盗犯人を逮捕し、連行しようとした時、犯人が逃走したので威嚇発砲をしたところ、集まってきた朝鮮人約50人が刑事を取り囲み、暴行殴打し瀕死の重傷を負わせ拳銃2丁を奪った。その後の交渉で、警察は暴行者の引渡しを要求したが、朝鮮人側は刑事の処分と暴行犯人引渡し拒否の要求をしたため、9日以降枝川町を封鎖し、13日に一斉検挙を行い被疑者9名を検挙した。


■高田ドブロク事件(1949 年4月7日~11 日)
新潟県中頚城郡新井町(現在の新潟県新井市)と同郡中郷町の朝鮮人集落では大掛かりな酒の密造をを行っており、警察などの関係当局は1949年4月7日早朝に一斉取締りを断行し、証拠物件を押収した。その後、この摘発に抗議する朝鮮人約200名は新潟県高田市(現在の新潟県上越市)の高田市警察署に押しかけ、警察署庁舎に投石して窓ガラスを割ったので、4名を検挙した。翌8日には高田税務署に押しかけ、署内に侵入しようとしたり投石をしたため、1名を不退去罪で検挙した。11日になると、朝鮮人約500名は高田市内をデモ行進した。警察はこれまでの穏健路線を転換し、首謀者12名を検挙した。


■本郷村事件(1949 年6月2日~11 日)
福井県大飯郡本郷村(現在の福井県大飯郡大飯町)の派出所勤務の巡査が戸口調査をするために、朝鮮人集落に赴いたところ、多数の朝鮮人が「我々を差別扱いする」と言って戸口調査を妨害し、同巡査に暴行を加えた。その後連日、派出所や警察署に約200名が押しかけ抗議した。


■下関事件(1949 年8月20日)
1949年8月20日早朝、山口県下関市内の民団側朝鮮人家屋を朝連側朝鮮人約200人が竹槍・棍棒を所持して襲撃し、民団員十数人に傷害を与え、さらに家屋19戸を次々に破壊して金品を略奪した。このため市内は一時大混乱になった。下関市警と国警山口県本部は山口県下の警察官約1000名を動員して、朝鮮人約200名を騒擾罪で検挙した。


■台東会館事件(1950年3月20日)
1949年9月8日、法務府は朝連に対し団体等規正令を適用して解散命令を出した。
東京都は当法令に基づき朝連の台東会館を一時接収したが、「台東会館防衛闘争委員会」を名乗る旧朝連員によって奪還され、さらに約400名がバリケードを構築して、小石や鉄片や唐辛子を投げつけるなどの実力抗争に出たために警察隊と乱闘になり、旧朝連員120名が検挙された。


■連島町事件(1950年8月15日)
岡山県浅口郡連島町(現在の岡山県倉敷市)で、朝鮮解放5周年を祝って約700名の朝鮮人が集まり、集会を強行したので、制止しようとした警察と乱闘になり8名を検挙した。この事件で警察官15名が負傷した。


■第二神戸事件(1950 年11月20~27日)
11月20日、約300名の朝鮮人が生活権擁護陳情のため、神戸市の長田区役所に押しかけ、区長と団体交渉に入ったが、排除にあたった警官隊と揉み合いになり、兵庫県朝鮮青年団体協議会議長を逮捕した。24日には、長田警察署と長田区役所にデモ行進し、その際の衝突で26名の検挙者がでた。

27日になると、旧朝連系約900名は、棍棒・白鉢巻の姿で西神戸朝鮮学校に集合して不穏な形勢を示し、デモ行進に移ろうとしたので、これを阻止しようとした警官隊と衝突し、デモ隊の一部は長田区役所、長田税務署に殺到して窓ガラス等を破壊した。神戸市警察局は、占領目的阻害行為処罰令違反と騒擾罪容疑で188名を検挙した。【「第一神戸事件」は「阪神教育事件」を指す】


■四日市事件(1951年1月23日)
旧朝連四日市支部を接収しようとしたところ、居合わせた朝鮮人約20名が、器物やガラスの破片を投げつけたり、灰・唐辛子による目潰し攻撃をしたり、濃硫酸を浴びせて接収の妨害を行った。そのため、執行係官7名が全治2~3週間の重軽傷を負った。警察が出動して公務執行妨害容疑で15名を検挙した。


■王子事件(1951 年3月7日)
1951年2月28日、警視庁は占領目的阻害行為処罰令違反容疑として東京都北区上十条にある東京都立朝鮮人中高等学校(現在の東京朝鮮中高級学校)を捜索し、多数の印刷物を押収した。3月7日、これに抗議する約1700名の朝鮮人(うち朝鮮学校生徒1100名)が同校で「真相発表大会」を開催し気勢をあげ、付近の民家で現場写真を撮影していた捜査員に対して殴る蹴るの暴行を加えたため、他の警察官が助けようとしたが、投石その他で拳銃2丁を奪うなど実力で抵抗した。このとき8名が検挙された。


■神奈川事件(1951年6月13日)
横浜市神奈川区にある青木小学校分校において、神奈川県朝鮮人学校PTA連合運動会が開かれていたが、参加者の一人が警備をしていた警察官に対して暴力をふるったため、公務執行妨害で検挙しようとしたところ、これを妨害しようとして大乱闘となった。これにより、双方ともに数名の負傷者を出した。運動会終了後、約500名の朝鮮人が横浜市警察本部に殺到し、玄関前でスクラムを組んで気勢をあげた。そのため、横浜市警は約1000名の警察官を動員し、公安条例違反容疑で28名を検挙した。


■下里村役場事件(1951年10月22日)
兵庫県加西郡下里村(現在の兵庫県加西市)において、朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために下里村役場に押しかけ、村役場職員を吊るし上げ、椅子を振り上げる等の暴挙に出たので、暴行脅迫・恐喝容疑で15名を検挙した。


■福岡事件(1951 年11月21日)
「強制追放反対」を叫ぶ朝鮮人約1500名が、福岡市大浜新校地と西公園に分散して集合し、そのうち新校地の一隊が同市千代町へ向かってデモ行進したため、それを阻止しようとした警官隊と乱闘となり、16名が検挙された。その後、解散に見せかけて、新校地に再結集し集会を開いた。警官隊が解散を命じたが応じなかったので、再度乱闘となり5名を検挙した。


■東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日)
1951年11月10日、泥酔中の朝鮮人を警察が保護したが、容態が急変して同日夜に死亡した。乗っていた自転車が転倒して肝臓が破裂したことが原因であった。ところが、朝鮮人側は警察官の暴行により死亡したとデマを流し、約30名の朝鮮人が東成警察署へ抗議に訪れ、署員の制止を聞かずに署内に乱入しようとしたので、これを阻止すると、催涙ガス瓶を投げ入れたり、投石してガラス窓を破壊したので、被疑者3名を検挙した。


■半田一宮事件(1951 年12月3日~11 日)
1951年12月3日、愛知県の半田税務署に密造酒取締の件で朝鮮人が押しかけ、署長以下数名を監禁した。一方、一宮税務署管内でも密造酒取締に対して、約100名の朝鮮人が捜査の妨害をした。そのため、半田・一宮両市警及び国警愛知県本部は12月8日に一斉強制捜査を行い、容疑者27名を検挙した。

12月11日、これに抗議する秋津嶋案内所朝鮮人約150名が半田市役所に押しかけて、庁舎内に乱入して警備の警察官ともみ合いになった。また名古屋市港区役所にも約70名が押しかけ、区長が乗っている乗用車を取り囲み、バックミラーや方向指示器を破壊した。他にも一宮税務署、一宮市警、名古屋市役所及び千種、北、瑞穂、南の各区役所にも押しかけた。


■軍需品製造工場襲撃事件(1951 年12月16日)
上記の東成警察署で死亡した朝鮮人の追悼式に参加した朝鮮人約110名は、3班に分かれて、大阪市内四ヶ所の親子爆弾製造工場(民団系)を襲撃し、製品や窓ガラスを破壊したり、従業員に暴行を加えたりした。


■日野事件(1951 年12月18日)
朝鮮人約50名が、自転車隊を編成し、白襷をかけ、「強制送還反対」のプラカードを掲げ、メガホンやスピーカーを所持し、強制送還反対を叫びつつ滋賀県内を無届デモ行進をした。警察は公安条例違反として再三中止を警告したが応じなかったので、滋賀県蒲生郡日野町において実力行使に出たが、石や薪などを持って抵抗したり、拳銃を奪い取るなどして反抗した。これにより、警察側に25名の重軽傷者を出したので、拳銃を発砲してこれを鎮圧した。35名が検挙された。


■木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23 日)
1952年2月21日に国家地方警察青森県本部所属の木造地区警察署で傷害容疑の朝鮮人2名を逮捕したが、朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して連日署に押しかけた。23日になると、約70名が署内に侵入しようし、警備の警察官と揉み合いになり、警察署の玄関のガラス戸が破壊された。


■姫路事件(1952 年2月28日)
兵庫県姫路市において、民団広畑分団長ほか3名の民団員宅に旧朝連系約20名が覆面して押しかけ、器物を破壊して逃走した。また同時刻に姫路市内の交番4ヶ所に5~30名の朝鮮人が押しかけて、警察官を軟禁し、多数の威力を示して脅迫した事件である。捜査の結果21名を検挙し、竹槍等の凶器を押収した。


■八坂神社事件(1952年3月1日)
三・一事件記念の名目で集まった約70名の朝鮮人デモ隊が、大阪市東成区の八坂神社境内に突入しようとしたため、大阪警視庁機動隊と大乱闘となり、朝鮮人側に十数名の負傷者を出して解散した。一時間後、いったん解散させられたデモ隊40名は近くの朝鮮人集落の広場でジグザクデモ行進を始めたので、東成署員約50名が現場に急行、解散させた。この事件で6名が検挙された。


■宇治事件(1952 年3月13日)
1952年3月13日午前1時頃、宇治市警小倉派出所・伊勢田臨時派出所及び警察官宅3ヶ所に、それぞれ5名の朝鮮人が押し入り、表戸などの器物を破壊し、「殺すぞ」の暴言を吐いて逃走した。そのため、宇治市警は国警京都府本部の応援を得て426名の特別検挙隊を編成し、宇治市ウトロ地区(朝鮮人集落)を捜索、小競り合いなどがあったが、6名を検挙した。また伏見税務署も密造酒の捜索を行い、密造酒2升を押収した。


■多奈川町事件(1952年3月26日~30 日)
大阪府泉南郡多奈川町(現在の大阪府泉南郡岬町)において、密造酒取締の結果、9名を検挙し証拠物件をトラック10台に満載して引き上げようとしたところ、これを奪還するため約500名の朝鮮人が押しかけ、投石その他によりトラックの進行を阻止して、9台分の押収物件を破棄し、被疑者を逃走させて運転手に暴行を加えた。その後の捜査の結果27名を検挙した。


■田川事件(1952年4月19日)
1952年4月13日、福岡県の七曲峠で花見をするために集まっていた日本人グループと朝鮮人グループが喧嘩になり、双方に死傷者が出た。国家地方警察田川地区警察署は両グループを検挙した。

ところが19日になって、朝鮮人の集団が田川地区警察署に押しかけ、犯人の即時釈放を要求した。警察は3名のアリバイを認め釈放したが、朝鮮人たちは引き続き全員の釈放を要求し続けた。午後11時になり、警察が排除に乗り出したので、彼らはガラス戸に向かって投石をし始め、ガラス戸27枚が破損、警察官7名が負傷した。21日に再度、田川地区警察署に押しかけて署長に面会を求め、署内に乱入しようとしたため、催涙弾を使用して鎮圧した。


■岡山事件(1952 年4月24日~5月30日)
阪神教育事件の記念日である4月24日に、朝鮮人約200名が岡山市公安条例に違反する無届デモを敢行し、岡山市役所に突入しようとしたので、岡山市警が制止しようとしたところ、旗ザオに見せかけた竹槍で警察官2名を刺し、「プロムアセトン(催涙ガス)」入り瓶を投げつけたり投石したので乱闘になり8名を検挙した。

5月1日のメーデーでは、労組による合法デモに入り込んで警察官を追いかけたり、岡山新聞社の写真部員に投石したりした。11日に岡山市警は傷害容疑で英賀朝鮮人学校に乗り込んだが、校内の約300名の朝鮮人の妨害を受けたため、公務執行妨害で8名を検挙した。その後、朝鮮人約500名は飾磨警察署を包囲して気勢をあげた。


■血のメーデー事件(1952年5月1日)
第32回メーデー大会に参加したデモ隊の一部は、日比谷公園前において「人民広場(引用者注:皇居前広場のこと)に押しかけろ」を合図に同公園を通過し、警官隊の警戒線を突破して皇居前広場に殺到したため、警官隊と乱闘になった。乱闘中、3000~5000名の旧朝連系(在日朝鮮統一民主戦線・祖国防衛隊)を先頭とする数万のデモ隊がこれに合流したため、双方の乱闘が一段と激化し皇居前は一大修羅場と化した。この事件で2名が死亡し、日本人1078名、朝鮮人131名が検挙された。


■上郡事件(1952 年5月8日)
4月10日に左翼系朝鮮人5名は、兵庫県赤穂郡船坂村(現在の兵庫県赤穂郡上郡町)で、別の朝鮮人3名に対して日本の学校に入学させていたことを理由に「スパイ」と難癖を付け、巻き割りで殴打した。その事件の容疑で5月8日に国警赤穂地区警察署は、朝鮮人8名を検挙した。その後、容疑者は神戸地検姫路支所に護送されたが、その間朝鮮人の一団が赤穂地区警察署に押しかけ、容疑者の奪還を図ろうと南へ約50m離れた小谷薬局前で警察と乱闘になったが、容疑者の身柄は無事護送された。


■大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25 日、11月9日~12 日)
1952年5月12日、韓国に強制送還された朝鮮人のうち、125名が手続不備で逆送還されて、大村収容所に再収容された。これに対し、民戦から数回にわたって抗議した後、5月25日になって50名が抗議に押しかけ、代表が当局と会談中、外部の者は盛んに収容者に対し、逃走をけしかけた。

そこで約100名は混乱に乗じて逃走を企図し、12名が逮捕されてようやくおさまった。その後、11月9日~12日にわたって、また民戦活動家数十名が押しかけ代表が当局と交渉中、654名の収容者が一斉に脱出を企図したので、催涙弾と消防車でこれを阻止し、首謀者12名を検挙した。


■広島地裁事件(1952 年5月13日)
駐在所と民家に放火した容疑で検挙した朝鮮人4名の裁判が広島地方裁判所で開かれたが、傍聴していた朝鮮人約200名が柵を乗り越えて法廷内を占拠、被告4名を奪還して逃走させた。


■高田派出所襲撃事件(1952年5月26日)
5月26日早朝、名古屋市瑞穂区にある民団愛知県本部顧問宅へ旧朝連系の朝鮮人数十人が乱入した。そのため、顧問は瑞穂警察署高田派出所に助けを求めてきた。警察官が顧問を助けようとしたところ、追跡してきた一団は火炎瓶や石を投げつけて派出所を焼き討ちにした。そして、裏口から逃げようとした顧問を追いかけて暴行を加え、全治10日間のけがを負わせた。他にも同時多発ゲリラとして、米軍基地・民団愛知県本部・中村県税事務所に火炎瓶を投げ込んだり、名古屋簡易裁判所判事宅に投石を行ったりした。最終的に朝鮮人31名が検挙された。


■奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日)
奈良市警警備課巡査部長宅に約10名の朝鮮人が押しかけ、戸を開けた巡査部長の父に暴行を加え意識不明の重体にし、窓ガラスや障子を破壊して逃走した。


■万来町事件(1952年5月31日~6月5日)
山口県宇部市では、生活保護の適用をめぐって朝鮮人と対立していた。1952年5月31日以来、連日のように宇部市福祉事務所に押しかけていた。6月3日には約400名が押しかけたので、宇部市警は全署員を非常招集し解散させたが、留守中の上宇部派出所が襲撃され、投石で窓ガラスが割られた。6月5日になると、宇部市万来町(現在の宇部市新町9丁目)にある「朝鮮人解放救援会山口県本部」が「民主愛国青年同盟」の結成式を催すことになり、県内各地から朝鮮人たちが集まってきた。

その中の中核自衛隊員70名が宇部興産窒素工場に乱入し、阻止しようとした守衛に暴行を加えた。その後、民団員宅を襲って傷害を与え、解放救援会山口県本部事務所に引き揚げた。警察は犯人を逮捕するために解放救援会事務所を包囲し解散を呼びかけたが、彼らは投石をしたり、棒を振って警官隊に突入を図ったため、遂にガス弾を投入して鎮圧した。



日本人の記憶から特亜工作員により消された事実【朝鮮進駐軍】 ③
http://81.xmbs.jp/piroshigogo-232111-ch.php?guid=on

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主な事件一覧続き


■島津三条工場事件(1952 年6月10日)
1952年6月10日、朝鮮人約50名が、京都市中京区にある島津三条工場に押しかけ、破防法反対のアジ演説を行ったので、工場側の要請を受けた警察官約15名が現場に急行、50代くらいの朝鮮人1名を検挙、京都市警南部警邏隊のパトカーに収容した。同パトカーが春日通三条にさしかかった際、付近にいた朝鮮人約100名が前に立ちふさがり、車内に火炎瓶を投げ込み、乗っていた8名の警察官に重軽傷を負わせ、検挙者を逃走させた。


■醒ヶ井村事件(1952年6月13日)
警察は滋賀県坂田郡醒ヶ井村(現在の滋賀県坂田郡米原町)で、民団系朝鮮人を暴行して全治2ヶ月の重傷を負わせた事件で容疑者7名を逮捕するために現地に向かったが、朝鮮人は事前に察知してピケを張るなどして妨害したため大乱闘となり、公務執行妨害で40人、検挙予定の7名の内6名を逮捕した。


■葺合*長田事件(1952年6月24日)
6月24日に神戸市葺合区(現在の神戸市中央区)の東神小学校に約50名の朝鮮人が集まり、竹槍を持って無届デモを行ったので、2名を公安条例違反で検挙した。これに対して9時半ごろ、葺合警察署に約100名の朝鮮人児童が押しかけて投石したため、実力で排除したが、別の一団が乱入し乱闘となった。一方、長田区では、朝鮮人約150名が神楽職業安定所に向かったので警官隊が追跡したところ、投石したため、デモ隊を包囲して11名を検挙した。


■吹田*枚方事件(1952 年6月24日~25 日)
6・25朝鮮戦争前夜祭として、待兼山に参集した民戦系学生等約1100名は、山中に竹槍を用意し、二隊に分かれて伊丹駐留軍宿舎を襲撃したが、警備体制に圧倒されて目標を変更し、一隊は吹田操車場に駐留軍貨車を物色したがこれも発見できなかったため、再び吹田駅に引き返す途中、警官隊と衝突し、拳銃2丁を奪い、さらに行進中交番2ヶ所および日本国粋党の笹川良一宅を火炎瓶・竹槍で襲撃した。

そこへたまたま出会わした駐留軍司令官クラーク准将の自動車に火炎瓶を投げ込み、顔面に火傷を与えた。また吹田駅周辺においても、デモ隊が停車中の米原発大阪行の通勤電車に飛び乗ってそこから拳銃を発砲したり、火炎瓶・竹槍などをもって抵抗したために、警察側も応戦し、両方に多数の負傷者を出した。一方、朝鮮人を含む9人の遊撃隊は、枚方市の旧陸軍枚方工廠のポンプ室に侵入し、時限爆弾を仕掛けて爆破させた。これに呼応して、翌日朝、同市の小松正義(旧陸軍枚方工廠払い下げの取りまとめ役)宅に火炎瓶を投げ入れて放火しようとした。逃走途中に警官隊に発見され、激しく抵抗したため警官隊は発砲した。この事件での検挙者は113名であった。


■新宿駅事件(1952年6月25日)
国際平和デー閉会後、朝鮮人約3000名が新宿駅東口に到着し、駅玄関や駅前派出所に向かって火炎瓶を投げ込んで、窓ガラスや電線等を焼失させた。そのため、警官隊約600名が催涙ガスを使ってデモ隊を押し返した。また、デモ隊の一部は新宿駅7番線ホームに入って、そこにいたオーストラリア兵4名を取り囲み、殴打・暴行を加えた。


■大須事件(1952 年7月7日)
大須球場で、ソ連・中国を訪問帰国した帆足計・宮越喜助両代議士の歓迎報告会終了後、日本共産党系の名古屋大学生に煽動された旧朝連系を含む約1000人が無届デモを敢行した。岩井通りをデモ行進しながら、警官隊に硫酸瓶・火炎瓶を投げ、警察放送車、民間乗用車を燃やしたり、交番詰所に火炎瓶を投げ込んだ。そのため、遂に警官隊側が発砲する騒乱事件となった。夜になっても、騒乱の現場から少し離れた鶴舞公園で、駐留軍軍用車を焼いたり、名古屋東税務署に火炎瓶を投げ込んだ。その結果、デモ側は死亡1名、重軽傷者19名を出した。名古屋地方検察庁及び名古屋市警察はこの事件を重視し、261名(その内朝連系145名)を検挙した。


■舞鶴事件(1952 年7月8日)
6月25日、朝鮮人約180名が舞鶴飯野造船所に侵入しようとして、それを阻止しようとした所員に怪我を負わせた事件が発生した。7月8日にその事件の容疑者が舞鶴から綾部に逃走しようとしているのを警察が察知し、先回りして逮捕しようとしたところ、竹槍等で抵抗したため警官が発砲するなど大乱闘となった。双方合わせて27名の重軽傷者を出し、12名を逮捕した。同日午後5時ごろ、朝鮮人数十人が、棍棒、石、ノコギリを持ち「逮捕者を返せ」と舞鶴西署に押しかけ同署のガラス数十枚を破り、警官ともみあいになり、8名を逮捕した。


■五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日~26 日)
1952年11月19日、仙台国税局は青森県内の警察官の協力を得て、青森県北津軽郡板柳町周辺の朝鮮人が経営する密造酒工場を摘発し、証拠物件を押収し、酒税法違反として45名を検挙した。そのとき、激しく妨害したので、朝鮮人7名が公務執行妨害の現行犯で逮捕された。これに対して朝鮮人は反発し、板柳地区警察署と五所川原税務署に連日抗議活動を行い、26日には、約60名の朝鮮人が五所川原税務署に押しかけて署内に乱入し、署内を占拠した。


吉田茂首相がマッカーサーに宛てた文書


【吉田茂氏がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)】

朝鮮人居住者の問題 に関しては、早急に解決をはからなければなりません。
彼らは 総数100万にちかく、その半数は不法入国 であります。
私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。

その理由は次の通りであります。

(1)現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。 米国の好意により、 日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用 しております。このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。

(2) 大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません 。

(3)さらに悪いことには、朝鮮人の中で 犯罪分子が大きな割合 を占めております。彼らは、 日本の経済法令の常習的違反者 であります。彼らの 多くは共産主義者ならびにそのシンパで最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいる という状態であります。

--中略--

さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。

(1)原則として、 すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべき である。 

(2)日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。許可は日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、私は、 朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的措置を提出する ものであります。

敬具 吉田 茂

吉田茂氏がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)
(田中宏「在日外国人」より)




tyousenn 丁鮮進駐軍
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2012年6月8日 17:06
朝鮮進駐軍朝鮮進駐軍 ※Weblio辞書にて削除予定の為、全文コピー。 http://www.weblio.jp/content/
朝鮮進駐軍概要
一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について 服装・武器及び組織について 戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。時代背景 当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。朝鮮人による犯罪 朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。 市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。 略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地・建物の収奪も相次いだ。 1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。 第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。主な事件一覧 朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。 大阿仁村事件(1945年10月22日) 生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日) 直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日) 富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日) 長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日) 富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日) 坂町事件(1946年9月22日) 新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日~29日) 首相官邸デモ事件(1946年12月20日) 尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日) 阪神教育事件(1948年4月23日~25日) 評定河原事件(1948年10月11日~12日) 宇部事件(1948年12月9日) 益田事件(1949年1月25日) 枝川事件(1949年4月6~13日) 高田ドブロク事件(1949年4月7日~11日) 本郷村事件(1949年6月2日~11日) 下関事件(1949年8月20日) 台東会館事件(1950年3月20日) 連島町事件(1950年8月15日) 第二神戸事件(1950年11月20~27日) 四日市事件(1951年1月23日) 王子事件(1951年3月7日) 神奈川事件(1951年6月13日) 下里村役場事件(1951年10月22日) 福岡事件(1951年11月21日) 東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日) 半田一宮事件(1951年12月3日~11日) 軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日) 日野事件(1951年12月18日) 木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日) 姫路事件(1952年2月28日) 八坂神社事件(1952年3月1日) 宇治事件(1952年3月13日) 多奈川町事件(1952年3月26日~30日) 田川事件(1952年4月19日) 岡山事件(1952年4月24日~5月30日) 血のメーデー事件(1952年5月1日) 上郡事件(1952年5月8日) 大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日) 広島地裁事件(1952年5月13日) 高田派出所襲撃事件(1952年5月26日) 奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日) 万来町事件(1952年5月31日~6月5日) 島津三条工場事件(1952年6月10日) 醒ヶ井村事件(1952年6月13日) 葺合*長田事件(1952年6月24日) 吹田*枚方事件(1952年6月24日~25日) 新宿駅事件(1952年6月25日) 大須事件(1952年7月7日) 舞鶴事件(1952年7月8日) 五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日~26日) 参考文献 法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年 横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年 篠崎平治『在日朝鮮人運動』1955年 大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年 新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年 名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年 瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年 山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年 宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年 大阪府警察史編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年 警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年 兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年 愛知県警察史編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年 青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年 坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年 警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年 思想の科学研究会編『共同研究 日本占領研究事典』1978年 仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年 長崎県警察史編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年 李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年 福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年 山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年 警察文化協会編『戦後事件史』1982年 日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年 講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年 朴慶植『解放後 在日朝鮮人運動史』1989年 百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年 金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年 荒敬『日本占領研究序説』1994年 百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年 竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年 『秋田魁新報』1945年 『神奈川新聞』1951年 『西日本新聞』1951年 『中部日本新聞』1951年、1952年 『大阪新聞』1952年 『京都新聞』1952年 『神戸新聞』1952年 『山陽新聞』1952年 『中国新聞』1952年コピー終わり。http://tl.gd/fol6pj · ReplyReport post (?)





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161.名無しさん@ほしゅそく

「在日一世」による日本人に対して犯した主な事件の参考文献


法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年
横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年
篠崎平治『在日朝鮮人運動』1955年
大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年
新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年
名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年
瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年
山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年
宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年
大阪府警察史編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年
警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年
兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年
愛知県警察史編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年
青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年
坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年
警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年
思想の科学研究会編『共同研究 日本占領研究事典』1978年
仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年
長崎県警察史編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年
李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年
2014年06月15日 01:38
162.名無しさん@ほしゅそく

在日がいくら被害者ぶっても、事実は逆だったことが衆議院の議事録でも新聞記事でも多量に残っていて、在日の主張を翻す材料は腐るほどある。

今さら在日が日本人によって不等な目に遭ったと主張しても純朴にそれを信じるバカはいない。
消え去れ。
2014年06月15日 01:38
163.名無しさん@ほしゅそく

「在日一世」による日本人に対して犯した主な事件の参考文献の参考文献つづき


福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年
山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年
警察文化協会編『戦後事件史』1982年
日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年
講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年
朴慶植『解放後 在日朝鮮人運動史』1989年
百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年
金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年
荒敬『日本占領研究序説』1994年
百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年
竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年
『秋田魁新報』1945年
『神奈川新聞』1951年
『西日本新聞』1951年
『中部日本新聞』1951年、1952年
『大阪新聞』1952年
『京都新聞』1952年
『神戸新聞』1952年
『山陽新聞』1952年
『中国新聞』1952年
2014年06月15日 01:39
164.名無しさん@ほしゅそく

明らかに日本人の方が在日に頃され、在日に利用され、在日の性奴隷にされてるよな
2014年06月15日 01:39
165.名無しさん@ほしゅそく

 
 
 
       そろそろやっとく?  一揆
 
 
 
2014年06月15日 01:39
166.名無しさん@ほしゅそく

朝鮮人(加害者)にとっては差別でも、日本人(被害者)に取ってはただの自己防衛でしかない・・・・今も似たようなもんだけどw当時、警察(自己防衛)すら奪われた日本では朝鮮人は生き易くて楽しかっただろうな・・・勝ち逃げを許すな!2世3世にたっぷり責任とってもらおうじゃないか・・・・そろそろ2世もぼちぼちと消えていくから3世4世だな・・・・・・・・・・この罪は永遠に消えない、日本人は朝鮮人を見習って100年掛けても復讐しよう俺は子も孫も出来たら伝えていくからね!永遠に消すな・・・・
2014年06月15日 01:40
167.名無しさん@ほしゅそく

食べるのに困って野菜を盗んだとかいうレベルじゃないからな
戦後のドサクサに託けて
新品のエンジン しかも戸を破って全部根こそぎとか屑にもほどがある
そしてそれを反省するでもなく武勇伝のごとく語る腐った精神
これが朝鮮人 
まあこんなやつらは間違いなく他に放火・さつ人・レ○プなど他の犯罪もやってるだろな
2014年06月15日 01:41
168.名無しさん@ほしゅそく

◎自称朝鮮進駐軍 「在日一世」

在日朝鮮人は日本人を4000人以上虐刹し日本から土地を略奪し
日本人婦女子をゴウ姦しまくった。



              日本人婦女子をゴウ姦しまくった。
             日本人婦女子をゴウ姦しまくった。
            日本人婦女子をゴウ姦しまくった。
           日本人婦女子をゴウ姦しまくった。
          日本人婦女子をゴウ姦しまくった。



     ゴキブリ37564していい理由がここに!

 
2014年06月15日 01:45
169.名無しさん@ほしゅそく

 ※120へ。
 人類社会と地球は、アナタ達鮮人以外の人種民族は、【 鮮人のこの悪行と、あなた達が今やっている書き込み・犯罪擁護を認めません。日本人は鮮人を責めますし、日本から鮮人駆除実行します 】。
 世界にも、鮮人の危険性を知らせる為に、日本でのこの事態も水面下で広まっているでしょう。

 それにね、ベトナムのライタイハン、戦争中だろうが戦争犯罪は責められるのよ。犯罪は犯罪。
 大東亜戦争時とは、今真逆。ねつ造も出来ない。
 ※120、平時・混乱・戦争期だから、仕方ないだと? 
仕方なくないよ。日本人は、絶対鮮人を断罪する。本国在日在米加豪鮮人問わずね。
 在日鮮人は諦めて、自主国外退去&朝鮮半島帰還&朝鮮半島を出る事と日本再入国を、自主永久禁止してなさい。
 論理思考出来ず、何も創れない鮮人なのだから。
 無能どころか、害悪だとバレた民族鮮人を、この世界は誰も救わない。得もお金にもならないからね。見境なく、技術窃盗もするし。悪民族鮮人は滅ぶか、朝鮮半島で永久李氏朝鮮が末路。
2014年06月15日 01:46
170.名無しさん@ほしゅそく

※120
戦後の混乱期だからこそ許せないんだが
福島のときもどれだけの朝鮮人が火事場泥棒したんだろうな。
2014年06月15日 01:48



【朝鮮進駐軍】「在日一世」による朝鮮人犯罪及びテロ行為について【朝鮮進駐軍】「在日一世」による朝鮮人犯罪及びテロ行為について

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n272998


遺伝子異常【 朝 鮮 民 族 在 日 】の歴史

生まれた瞬間から屑以下です韓国人は。

韓国人の犯罪遺伝子は子々孫々です。今現在も受け継がれてます。忘れてはいけません。

「在日一世」による朝鮮人犯罪及びテロ行為について

戦後当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、
また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。
また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。

戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、
このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。

いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、
日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。

この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、【 通名 】を使用しだすのは
朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。


◎服装・武器及び組織について

戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。
銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。

朝鮮進駐軍では旧日本空軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、
これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。

組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、
個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。

朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。
更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と
在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。

「在日一世」による犯罪

自称 朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。
特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。

特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した
朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。

市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、
多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり
繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。

またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、
多い説では1万人以上であったとも言われている。

1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し
警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が
同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。

46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した
武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。

首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。
1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。

これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し
1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が「日本各地」で続発した。

「朝鮮進駐軍」と名乗る在日一世の朝鮮人暴徒たちは、通りすがりの市民に
言いがかりをつけ集団暴行をはたらく。無銭飲食は当たり前、白昼に目に付いた
婦女子を路上で集団強姦するなどを、日常茶飯事に繰り返した。

在日朝鮮人は「朝鮮進駐軍」部隊と名乗り、武装して、町をのし歩いた。
彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩した。

腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を振り回しては、
手当たり次第に日本人を殺傷、暴行し、略奪の限りを尽くした。

通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、
白昼の路上で婦女子にいたずらをした。

善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。

こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、
肩で風を切って街をのし歩いた。

警官が駆けつけても手も足もでない。
終戦後の警官が、一切の銃器の所持が許されていなかったのをよいことにして、

「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」

と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。

戦後当時の「朝鮮進駐軍」とは今日の朝鮮総連本部である。

今の朝鮮総連となる「在日朝鮮人連盟中央総本部」である。

「在日一世」による戦後当時の日本人に対して犯した凶悪事件


●終戦後 「朝鮮進駐軍」武装部隊が首相官邸襲撃●
------------
「朝鮮進駐軍」部隊2000人による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。

約2000人 の在日朝鮮人「朝鮮進駐軍」部隊が完全武装して首相官邸に突入。
日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。
そこで米軍憲兵隊と「朝鮮進駐軍」との間で大銃撃戦闘へと発展した。

戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、
勝手に自分たちを「戦勝国民である朝鮮進駐軍」であると詐称し、
三万人もの武装集団となって全国主要都市に出現し暴れまくった。

在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、
勝手に「朝鮮進駐軍」と名乗り、無差別に多くの日本人市民を殺害した。
【GHQの 記録に残っているだけでも四千人以上の殺害記録が残されている。 】

戦後の治安が整っていない空白を良いことに、「朝鮮進駐軍」と名乗った在日朝鮮人は、
土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くした。

「朝鮮進駐軍」と名乗る暴徒たちは、個々に部隊名を名乗り、各地で縄張りを作り暴れた。
これら「朝鮮進駐軍」 元締め組織が「朝鮮総連」、ヤクザなどになっていった。

国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法占拠した。
そしてそのまま、パチ ンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、
そのまま彼らの土地として登記され現在に至っている。

農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、
国の食料倉庫も襲い、食料や商品を根こそぎ 奪って行き、
それらは全て戦後の闇市で売りさばき、暴利で財を成したのは彼らであった。

財を成したのは彼らは分派し、
政治組織として社会主義、共産主義組織へと発展し、政界にも進んだ。

第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、
正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。

GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は
「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど
朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。

昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、
米兵一名が死亡、二名が負傷した。


◎自称朝鮮進駐軍 「在日一世」

在日朝鮮人は日本人を4000人以上虐殺し日本から土地を略奪し
日本人婦女子を強姦しまくった。一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、
おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、
もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。

戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、
婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、
土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。

GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が
朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害され7000人以上の女性がレイプされた。

「在日一世」による戦後、当時の日本人に対して犯した主な事件一覧

朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。

大阿仁村事件(1945年10月22日)
生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)
富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)
長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)
富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)
坂町事件(1946年9月22日)
新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日~29日)
首相官邸デモ事件(1946年12月20日)
尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日)
阪神教育事件(1948年4月23日~25日)
評定河原事件(1948年10月11日~12日)
宇部事件(1948年12月9日)
益田事件(1949年1月25日)
枝川事件(1949年4月6~13日)
高田ドブロク事件(1949年4月7日~11日)
本郷村事件(1949年6月2日~11日)
下関事件(1949年8月20日)
台東会館事件(1950年3月20日)
連島町事件(1950年8月15日)
第二神戸事件(1950年11月20~27日)
四日市事件(1951年1月23日)
王子事件(1951年3月7日)
神奈川事件(1951年6月13日)
下里村役場事件(1951年10月22日)
福岡事件(1951年11月21日)
東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日)
半田一宮事件(1951年12月3日~11日)
軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日)
日野事件(1951年12月18日)
木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日)
姫路事件(1952年2月28日)
八坂神社事件(1952年3月1日)
宇治事件(1952年3月13日)
多奈川町事件(1952年3月26日~30日)
田川事件(1952年4月19日)
岡山事件(1952年4月24日~5月30日)
血のメーデー事件(1952年5月1日)
上郡事件(1952年5月8日)
大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)
広島地裁事件(1952年5月13日)
高田派出所襲撃事件(1952年5月26日)
奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日)
万来町事件(1952年5月31日~6月5日)
島津三条工場事件(1952年6月10日)
醒ヶ井村事件(1952年6月13日)
葺合*長田事件(1952年6月24日)
吹田*枚方事件(1952年6月24日~25日)
新宿駅事件(1952年6月25日)
大須事件(1952年7月7日)
舞鶴事件(1952年7月8日)
五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日~26日)

「在日一世」による日本人に対して犯した主な事件の参考文献


法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年
横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年
篠崎平治『在日朝鮮人運動』1955年
大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年
新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年
名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年
瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年
山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年
宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年
大阪府警察史編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年
警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年
兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年
愛知県警察史編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年
青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年
坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年
警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年
思想の科学研究会編『共同研究 日本占領研究事典』1978年
仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年
長崎県警察史編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年
李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年
福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年
山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年
警察文化協会編『戦後事件史』1982年
日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年
講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年
朴慶植『解放後 在日朝鮮人運動史』1989年
百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年
金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年
荒敬『日本占領研究序説』1994年
百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年
竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年
『秋田魁新報』1945年
『神奈川新聞』1951年
『西日本新聞』1951年
『中部日本新聞』1951年、1952年
『大阪新聞』1952年
『京都新聞』1952年
『神戸新聞』1952年
『山陽新聞』1952年
『中国新聞』1952年
法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年
横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年
篠崎平治『在日朝鮮人運動』1955年
大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年
新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年
名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年
瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年
山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年
宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年
大阪府警察史編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年
警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年
兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年
愛知県警察史編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年
青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年
坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年
警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年
思想の科学研究会編『共同研究 日本占領研究事典』1978年
仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年
長崎県警察史編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年
李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年
福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年
山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年
警察文化協会編『戦後事件史』1982年
日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年
講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年
朴慶植『解放後 在日朝鮮人運動史』1989年
百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年
金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年
荒敬『日本占領研究序説』1994年
百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年
竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年
『秋田魁新報』1945年
『神奈川新聞』1951年
『西日本新聞』1951年
『中部日本新聞』1951年、1952年
『大阪新聞』1952年
『京都新聞』1952年
『神戸新聞』1952年
『山陽新聞』1952年
『中国新聞』1952年
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